11/3(木・祝)2つのイベント 〔第1部〕 STEP5 エピローグ(終章)「神々と生きる島 男鹿半島」

文化庁・秋田公立美術大学による事業、AKIBI+ 男鹿 2016
STEP5 エピローグ(終章)「神々と生きる島 男鹿半島」は終了致しました。
ご来場いただいた皆様、開場を提供していただいた温泉旅館ゆもと様、
秋田公立美術大学の先生・学生・事務局及びスタッフや各関係者の皆様、
本当にありがとうございました。


11/3(木・祝)の2つのイベント
〔※ 第2部 15:30〜 の 音楽イベントは次のブログにてご案内致します。〕

〔第1部〕10:00〜13:30〔入場無料〕
STEP5 エピローグ(終章)「神々と生きる島 男鹿半島」
秋田公立美術大学 AKIBI plus 男鹿
ローカルメディアと恊働する、アートマネジメント人材育成事業。
ショートレジデンスプログラム 「神々と生きる島を探る in 男鹿」準備講座

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【内容】
〜 これまでの成果発表 〜
STEP1〜3、計3回にわたり行われた男鹿半島のフィールドワークと
STEP4の芸術と地域を繋げる空家の活用について話し合うシンポジウムを終え、
これまでの活動報告と次のステップに進む為の座談会フリートークとアーカイヴの展示を行います。

終了後は〔第2部〕にてアートマネージメントによる音楽イベントの企画発表(※こちらの入場は有料となります。)を行います。

また11/18(金)まで成果発表の掲示物やこれまで紹介していただいたアーカイブ(写真や新聞記事等)の展示がございます。宜しければ温泉に入った後にどうぞゆっくりとご覧になって下さい。

【会場】温泉旅館 ゆもと(秋田県男鹿市北浦湯本字福の沢36)

【駐車場】約30台(※スタッフの案内に従って下さい。)

【宿泊や入浴をご希望のお客様へ】
当日の宿泊や入浴をご希望のお客様は一般のお客様と同様、
直接『温泉旅館ゆもと』までお問い合わせ下さい。
入浴料は 当日600円となります。(入浴券代わりのタオル付き)。
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TEL:0185−33−3151
HP:http://www.namahage.ne.jp/~yumoto/
(※ 旅館ではイベントに関するお問い合わせは承っておりません。)

【交通アクセス】
遠方からお越しのお客様にはお車でのご来場をお勧め致します。
駐車スペースの都合によりグループの場合はなるべくお乗り合わせ下さい。
また、開演まで案内スタッフがおりますので指示に従って下さい。駐車スペースや敷地内、公道にて他のお客様へのご迷惑にならない様お願い致します。

【その他】〔第2部〕と出店に関しては 次のブログをご覧下さい。


ショートレジデンスプログラム
「神々と生きる島を探る in 男鹿」準備講座 について

〜 これまでの経緯 と これからの考察 〜

〔はじめに〕
2015年度に行われた「男鹿半島 空き家ツアー」に引き続き、今年度は初夏の頃より秋田公立美術大学(以下:秋美)の学生や先生、また講師や一般の受講生の方達と共に男鹿半島の各地をフィールドワークし、シンポジウム等を行い地域に触れながら考察してまいりました。そしていよいよ“STEP5 エピローグ 「神々と生きる島 男鹿半島」”で最後となります。ちょっと長くなりますが、これまでの活動を自分なりにまとめました。

『何だか最近色々頑張ってるねー。』『また何かの税金の無駄遣いなんじゃないのー?』なんて声もあるかもしれませんね。もしかしたら皆さんには全く興味や関心の無い事かもしれません。でも自分達にとってはとても重要な出来事で、藁をも掴む思いなのです。自分の大切な時間を沢山費やしてここまで取り組んで来た事業です。無駄な事だと思ったらここまでやってませんし、もう手段を選んでる場合じゃ無いんじゃないか?って思うこの頃でした。これからも何らかの形で続けていきたいと考えておりますが、秋田に帰省して以来十数年。これから綴る事は自分のこれまでの出来事、もはや “半生”(もしくは反省)を短くまとめたといっても過言ではありません。お店を始めてからは中々こういう機会もなかったのでお時間がありましたら是非お読みいただけると嬉しい限りです(苦笑)。

2016今年度「AKIBI+男鹿」の活動はこちらからご覧いただけますのでご興味のある方はどうぞ!> http://akibi-plus.jp/oga2016/

〔AKIBIplusって何?〕
『その前にAKIBIplusって結局何なの?どんな事をやってるのか全然わかんないよ。』
って思う方も当然多くいらっしゃるでしょう。初めて目にする方も多いと思います。

簡単にご説明するとこれは文化庁と秋美の主催により行われた、秋田県内の各地域(秋田市新屋・男鹿・五城目・仙北)で芸術と社会を結ぶアートマネージャーを育成しよう、って事業です。

男鹿半島に限っていえば風土や地形、食文化も含め、大変興味深くポテンシャルの高い地域だと多くの人が感じています。しかし近年は夏から冬の1年間を通して観光やイベント客の受け皿は増減のバランスが非常に偏っており、観光地にも関わらず地元の方達の多くは芸術や工芸を含む様々な文化活動への理解が少ない為、通年の観光業の継続も難しく、また働く人達の高齢化や人口の減少、そして空家の増加も課題となる中、地元の方達からは「人口が流出するのは若い人達の仕事や集う場所が少ないから」という声がよく聞かれていました。
そしてもう1つは観光PRの為や文化財への登録が行われている 地域のお祭りや行事も本来の姿を失ってきており、とても気がかりなものでした。

〔子供の頃の男鹿半島と温泉郷 1970年代〜上京〜秋田に帰郷〕
時代を遡ると、私達が生まれる前から子供の頃は男鹿半島も戦後〜高度経済成長期〜バブル時代という時代背景の中、当時の男鹿温泉郷は夜になると外に出れば下駄とカラオケの音が響くとても賑やかで混沌とした場所だったと思います。観光化されたなまはげの踊りが広間で演じられ、宴会が終わるとお酒で酔っぱらい半裸で寝そべっているおじさんや硝子の引き戸に突っ込んで血だらけになって救急車で運ばれていくお客さん、それは今思えば小さな子供の目から見てもとても異常な光景でした。

当時、私達の親世代(団塊の世代)の主な仕事は昔からあった農林漁業やお役所の仕事以外では、建設ラッシュに沸いた土木・建築業や旅館・ホテル業等の観光サービス業が得に多かったと思われます。生まれて間も無い頃から両親の仕事の都合により温泉郷で育った私ですが、まもなく父が家を購入し少し離れた地区へ引っ越す事になります。幼い頃の記憶では地元の子供会や行事も人で溢れていたような気がします。しかしその数年後、私が小学生の頃亡くなった祖父が住んでいた家が空家(現在の里山のカフェ ににぎ)になると言う事で両親が相続し、また引っ越す事になりました。当時、里山の中の一軒家はとてもひっそりとして寂しいような感じがしました。なにしろそれまで住んでいた場所がけっこう人の多いにぎやかな場所だったからでしょう。

時代は流れ、高校生の頃にはバブルが崩壊。しかしその後、秋田新幹線の開通や道路整備が行われ男鹿半島の交通事情も変わり、便利で豊かな時代に・・・と、いう訳には残念ながらならず、観光客は減り、仕事は少なくなり、人口は流出し、進学と就職で上京していた私が田舎に帰郷する頃には人が多く住んでいた地区もすっかりと寂れた感じに変わっていました。そこでよく聞かれる様になった言葉が「田舎には仕事が無い」という言葉でした。しかし後で気付くのですが、この時代に失われていったのは決して仕事だけでは無かったように思えます。

余談ですが、漫画家やイラストレーターを目指し関東へと上京していたはずの自分は、何故か音楽(主にクラブカルチャーやカフェミュージック)や映画、お芝居にどっぷりと浸かる日々を過ごしていました。この頃のお話は秋田の音楽情報WEBサイト『hanautaweb』さんからご紹介いただいておりますのでこちらをご覧下さい。音楽からの影響は後にカフェをオープンする際やイベントを行う時に大きな役割を果たします。
はなうた対話集2:猿田真【前編】>http://hanautaweb.info/interview/02_1/
はなうた対話集3:猿田真【後編】>http://hanautaweb.info/interview/03/

〔帰郷後、見えてきた男鹿半島。〕
そんなこんなで自分は秋田に帰郷後、しばらくサラリーマン時代を過ごす訳ですが、そこで介護や不動産、様々な仕事に関わる事になります。すいません、『何でそうなるの!?』って突っ込まれるぐらい凄い省略しましたが(汗)、私が知りたいくらいです(笑)。しかーし、そこで目にする事が増えたのが高齢者と空家の増加だったわけです。

時代は更に流れ、結婚し子供にも恵まれた自分は、その直後に起きた東日本大震災で心境がガラリと変化しました。秋田県は直接被害が大きかったわけではありませんが、震災により観光業をはじめ様々な影響があったと思います。
その後、それまでの生活に見切りをつけ仕事を辞めました。自分は父親になったとたん無職になりました。そしてこれまでやった事の無い農業や山仕事に手をつけはじめました。結局お店の方が忙しくなって全然続けられませんでしたが(汗)。

現在に話しを戻しますと、正直自分も将来あのままの仕事を続けて良かったのかわかりませんでしたが、田舎の現状を色々と把握した上で、ずっと地域に根ざして暮らしていくのなら自宅で何か仕事をして生きていきたい、古民家である自宅の半分は使われていないんだから何かここで事業を起こせないか?などと考えるようになっていました。で、更に色々あって今は自宅でカフェを営んでおります。

また略し過ぎましたが(笑)、今日までの苦労も多く、でも自分の場合はたまたま自宅だったから他の方達よりは開業が容易に進んだ方なのかもしれません。
とはいうものの、それは自分の家の事だけであって、何も人口の減少を防いだわけでもありませんし、これから地域で住んでいく為には既存の住民だけでなく新しい仲間作りや他所との交流、若い人達の人材育成も必要だなと考える様になりました。

〔古きに目を向けるきっかけ。〕
一方でお店の開業準備を進めていた頃でした。NHK秋田放送局のディレクターの方が尋ねてきて下さり「地名に関する番組を作っているのですが、ここの“塞の神(さいのかみ)”って地名の由来は何ですか??」との質問。でも自分はまだこの頃は詳しく答える事が出来ませんでした。 尚、この時に取材を受けた番組は NHK秋田放送局の “ウオッチA 地名探訪 古( いにしえ)の声が響く”という番組で放送(更にその後は全国で再放送)されております。

実はこれがその後、自分のルーツ探りや「AKIBI+ 男鹿」のテーマのきっかけになるのですが、それまで考える事も無かった自分の住んでいる土地の地名や地域、自分の名前(名字)という物が全てリンクしている事に気付いたのです。これにはかなり驚き、鳥肌が立ちました。歴史が苦手だった自分ですが、それ以来は大好きな音楽並に興味を持ち、時間を作っては小さな子供のように地元の事を掘り下げ、他所の文化との共通点や興味深い事を調べる様になりました。

〔芸術と信仰、そして社会を繋ぐ架け橋を育む 〜AKIBI+男鹿 始動〜〕
その後、知人のご紹介で知り合った美術大学の先生(アート&ルーツ)にご相談に伺う事になります。そこで、これから美術大学を卒業する方達の中で自ら仕事を産み出す力を持った若者や、仕事を持った移住者の方が将来空家を活用し、芸工活動に繋げる事は出来ないか?地域の伝統や人の繋がりを保つ為にお祭りや行事に参加してもらえないか?という提案からこの事業の起案が練り上げられた・・・のですが、2015年の「男鹿半島空きや巡り」を遂行した結果、現実的には様々な理由から上記の提案はハードルが高い為、もう少し異なる方法で話しを進めてみようという事で今年度の事業がスタートしたのです。

それは移住や芸術・工芸という点にこだわらず、もう少し受入の間口を広げて、様々な活動をする方や男鹿半島に興味と関心のある方から普通の観光とは違った視点で短期滞在していただく事で、男鹿半島の持つ魅力に触れ、そこで感じ取ったアイデアをモチーフに、創作活動や発表、更に“その先”へ繋げていく、その為の準備口座、というのが今年度のこれまでの活動となります。

“その先”というのは新しい“ものづくり”や“物語”に発展・完成させる事で、地域に新たな営みや繋がりを持つようになって欲しいという将来への思いです。

そしてお気づきの方も多いと思いますが、今回のタイトルには“神様”や“仏様”、“信仰”といったキーワードが多く目立ちます。これは自分自身が特に信仰心が厚いとか特定の宗教の布教を進めるといった事ではありません。では何故そこに注目するのか?というと、これは男鹿半島に限った事ではありませんが、これまでの時代に人々の生活の中にある信仰というものが、とても身近で重要な存在であったからという事が理由だからです。

現在は人々の暮らしも文明が高度になり便利で豊かになったと言われていますが、昔は地域に学校や病院等の様々な公共サービスどころか電気や水道、ガスや灯油等も無く、冬の生活に必要な蓄え(食べ物)や燃料の確保の為、機械や設備器具も無い中での農林漁業は自然を相手にとても過酷な状況下で行われていたはずです。勿論テレビやインターネットは無いのでニュースや天気予報等の速い情報なんてあるわけが無い。衣料品の素材も限られ、天候にもずいぶん悩まされていたはずです。そこで頼りになったのは先人の教えや自分の知恵と経験、家族や地域の結束力、そして“信じる力”。つまり“信仰心”によって生まれる“心の強さ”だったのでは?と考えます。科学や医療も発達していない時代、原因不明の出来事や天変地異、病いや心の悩みを解決するには“神頼み”、そして突如降って湧いたラッキーな出来事も“神様や妖怪のせい”、なんて事も多かったのではないでしょうか。信仰の対象によって思想やその形は異なる物の、生活の中にはいつもファンタジーが根付いていた、と言う事になります。

今回の事業ではSTEP1〜3に行われた男鹿半島フィールドワークでは訪れる先々で信仰の痕跡や言い伝えが残されている事がわかりました。ファンタジーなんて、ゲームや漫画、おとぎ話の世界の事だとばかりずっと思っていましたが、色々と調べているうちに自分達が暮らしている身近な場所に昔は当たり前の様に存在していた事がよくわかります。

都市化や住宅地として開発が進んだ地域や言い伝えが途絶えた集落でそのような歴史を探す事は中々困難になってまいりましたが、男鹿半島にもまだ古い習わしや言い伝えとその痕跡が数多く残っており、集落の入口や境目に置かれたお地蔵様や庚申塚、地名やそこに暮らす人達の名前(名字)、毎年決まった日に行われる郷中の行事 等々、そして代表的な存在として多くの人に知られる『大晦日のなまはげ』は今日まで続き、地元の人達により古くから継承され行われております。これは大変興味深い事です。そんな理由から今回のテーマに神様や仏様、信仰が繁栄されたわけです。

どのような形でこのような風習が広まったのかはわかりませんが、“なまはげ”はそのお面の容姿から 男鹿半島の各集落の人達によって作り上げられたとても土着性の強い民俗芸能(芸術)だと思います。地域によっては神様として迎えられ、家族の風紀を正し、その年の厄払いをしてもらい新しい年を迎えるという行事なのですが(簡単にまとめています。)、近年は様々な理由からなまはげを迎え入れる家や行事に参加出来る若者も少なくなってまいりました。そしてそういった地域では人口も減少し集落での人の繋がりも希薄になり、空家も増え、終いにはその家のご先祖様が祀られた仏壇が残されたままになっている事も少なくありません。そういえば地域で行われているお祭りへの参加者もずいぶんと減りました。自分の集落ではお祭りで御神輿を担ぐ人すら集まりませんが、つまりは人々の生活から信仰心が薄れていったのです。それに伴い、現代社会という環境で生きる多くの人達の暮らしや心境に変化がおこって来ていると考えます。それは間違いなくこれから先の未来に表面化されていく事でしょう。それが今自分が住んでいる集落、そして地域で行われて来た芸能(芸術)の消滅に繋がる事なのだと思えてなりません。
前述で述べた様に、空家を利活用するにも残された仏様の供養や、空家の維持管理、地域の人達との関係、所有権移転の問題、それらに関わる費用(お金)の問題等沢山の課題がわかってきましたが、そうなると、次はそれらを解決する糸口を探す事が必要だと考えました。

そこでSTEP4では『空家と神様・仏様』というタイトルで行政や司法書士、僧侶や芸術家(不動産業の方は残念ながら都合により欠席)、をお招きし、シンポジウム形式のトークイベントを行いました。それは現実(リアル)と空想(ファンタジー)の世界を交えて話し合われるとても特別で有意義な場になったと感じています。

また会場は男鹿市船川港にある『嶺徳院』様より提供いただきました。
シンポジウム終了後は別のイベントとしてライブ演奏も行われましたが、
寺院もまた近年では葬祭場として使われる事などが少なくなった為、こういった活用は現在の在り方として新たな可能性も感じられます。そして予想以上にご来場いただいた皆様からは好印象でした。

今回のSTEP5ではご参加いただいた皆様と共にこれまで行われて来たフィールドワークやトークイベントで体験した事、感じた事の成果発表を行います。
会場は男鹿温泉郷『温泉旅館ゆもと』さんの大広間をお借りしての開催となります。
これまでの活動は時間が限られていた為、今回は座談会スタイルでたっぷりと意見を交わせたら良いと考えております。
勿論初めてご参加の方にも会場へ足を運んでいただき、これまでどんな事をやってきたのかお知りいただきたいですし、今後もこのような活動が近い将来に実を結ぶ様 続けていきたいと考えております。

実はこの日も同日に音楽イベントが行われるのですが、この場を会場に選んだ理由として、歴史と趣のある素敵な場所である事と、冬の温泉旅館の魅力をもっと楽しい形で発信出来ないか?という思いから当旅館の社長様に相談させていただいた次第です。ちなみに私自身の成果発表はこのイベント(新しい型のお祭り)そのものです。
音楽という芸術と男鹿半島という地域が繋がる役割を果たす事が出来たら良いとずっと考えておりましたが、これからも地域と様々な文化の繋がりを皆さんにもっと触れていただき、今までと異なる視点から新たな営みが生まれる事を願っております。
勿論、移住や地域を活かした仕事作りも諦めてはいません。

地域の課題はノンストップで積み上がっておりますが、
これらはいずれ何かしらの形で皆様の今後の生活に影響が出て来る事だと考えます。この現状を見て見ぬふりをせず、行政や民間、他所からいらっしゃる方達皆さんと地域の未来を考えていく事で様々な問題が解決出来ると信じます。

この度お世話になった秋田公立美術大学の先生や学生、事務局、そして講師や受講生としてご参加して下さった皆様には本当に感謝しております。至らぬ点や反省点はありましたが今後とも引き続き皆様のご理解とご協力、何卒宜しくお願い申し上げます。本当にありがとうございました。

〔まとめとこれから先のお話〕
最後になりますが、これから起きる出来事もおそらく男鹿半島を舞台にしたひとつの物語になるのだと考えます。もし誰かが「あなたを主人公に物語を作りたいんだけど」なんて突然言われたらどうするでしょうか? そりゃ普通はびっくりしますよね。そんな事有り得ないよ、なんて思っていませんか? ところが社会で生きている以上、自分の行いや半生は常に誰かによって見られ、語られていくものです。それは家族であったり、友人であったり、会社の後輩であったり、一枚の写真であったり。楽しい事も苦しい事も、色々あっていつもどこかで新しい物語やノンフィクションのドラマが生まれ、消えていく事もあれば語り継がれる事だってあります。
最近自分の家族のルーツを調べていたのですが、自分が生まれた頃にはすでに亡くなっていた曾祖父が一体どんな人だったのかとても興味が出てきました。残された資料や地元の人達の証言、肉声が入った古いテープレコーダー、名前と地名、どれも調べれば調べる程とても興味深い事がわかってきました。それは間違いなくこの男鹿半島を舞台とした1つの物語でした。
そんなふうに、もしかしたら自分の出来事も後世の人達によって語り継がれるかもしれません。ここで暮らしていた先人はこの土地で一体何を考え、どんな生き方をしたのでしょうか?そして皆さんの人生は一体どんな物語となるのでしょうか?この続きは、これからを生きていく後世の人達が作り上げていく事でしょう。
この事業がその様な活動にも繋がって下さる事を願います。

ここは男鹿半島。今も尚、人々と神々が共存する不思議な島です。
皆様も是非一度足を運んでみて下さい。案外皆様が活躍する次のステージになるかもしれませんよ。お待ちしております。

あ、最後の最後にもうひとつ!!この後行われるライブイベントもとっても楽しいですよ!是非お楽しみ下さいね。
そして2017年2月11日(土)は秋田公立美術大学のアトリエももさだホールにて他の地域(新屋・五城目・角館)でも行われ本事業に関わった方達とのネットワーク最終報告日となります。皆様の中でもしご興味ある方は是非こちらもご参加下さいませ。

2016年10月 里山のカフェ ににぎ 代表/猿田
〔※ 急いで作った文章なので追記や編集する場合もございます。宜しくお願い致します〕

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