『福島バッジプロジェクト』のお話(その1)。

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早いものであの日から、2年が経ちました。

あの日、皆さんはどこでどうお過ごしでしたでしょうか?

自分は、その頃はまだお店を始める前で、

とある活動にのめりこんでおりました。

ちょうど男鹿市船越の住宅付近で車に乗っていた時の事です。

次から次と周りの家の中から人が慌てて出てきました。

それですぐに地震だと察しましたが、

初めは車内にいたせいか、全くわかりませんでした。

めまいのような長い長い、ゆっくりとした大きな揺れが、いつまでも止まりません。

しばらくしてから、揺れが落ち着き、そして停電になっている事に気付きました。

電話やテレビといった様々な通信や情報が遮断されました。

 

 

・・・と、当時の状況を話せば長いのですが、

その日を境に、電気が復旧されてからは想像を絶するような出来事が

次から次とテレビやラジオから流れてきました。

地震だけが決定的な理由ではありませんが、

今後の人生について更に色々と考え込むようになったのもこの頃です。

自分はその後、勤めていた会社を辞めて、

開業と今後の生活の準備の為に活動を始めました。

 

 

話は飛んで、

お店を開業して以来、色んな人達との出会いがある中、

去年(2012年)の末、

いつもお世話になっている方の紹介で、

とあるご家族の方達が我が家にやってきました。

 

以前、当店のツイッターでもご紹介させていただいた事がありましたが、

福島で被災された経験を持つ、『丹治博志(たんじ ひろし)・宏大(こうだい)』さん達のご一家です。

 

ここで改めてご紹介させていただきますが、

丹治さん達がどのような活動をされている方達かというと、

福島市で『カフェ・ギャラリー』を営んでいらっしゃっるのですが、

被災した後の現在は

【福島バッジプロジェクト】を設立し、

『福島の人達が「原発はイヤだ」と意思表示を出来る場を作り、

その福島の人々の心に呼応して、

同じ意思表示を日本中のだれもが出来るような場を作る事を目的』として

活動されています。(※HPより引用)

 

また、ご長男の宏大さんは福島で初の民間による

市民放射能測定所を設立されて活動されているそうです。

 

( ※ 福島ピンバッヂプロジェクトや市民放射能測定所など

丹治さん達の活動については↓ 下記の各リンク先をご参照下さい)

『http://fukushimabadge.blog.fc2.com/blog-entry-27.html

http://skmtfanblog.paslog.jp/article/2192626.html

丹治さんとお会いして
実際に当時被災された方達のお話を直に聞く事は、
本当に悲惨な話ばかりでした。
その形も様々で、津波や原発などそこで生きて行く人々や生き物が負った
今でも続く震災の爪痕。
原発によってもたらされた様々な問題は、
今後同じ日本に住んでいる自分達にとっても
他人事ではないのです。
専門的な知識こそ無いものの、
確かに原発に頼らずに電気をまかなうには容易な事ではないと思います。
それを生活の糧に生きてきた方もおられるでしょう。
そこで生きねばならない理由がある方もおられるとは思います。
しかし頻繁に地震が起こるこの日本で、今後も不安を抱えたまま、
負の遺産を後世に残して生きていく事は
本当にそこで生きていく人々の望む事なのでしょうか?
原発を枕にして生きていく事が安心で安全な事なのでしょうか?
殆どありえない話とは言えど、
もし、ロシアであった隕石落下事件のような事や
テロ行為が原発付近で起きたら?
自然の力や理性の無い者によって引き起こされる恐ろしい事は
どうにも出来ない事だってあると思います。
何しろ被災の影響の規模が大き過ぎます。
電力供給、他にも方法があるはずです。
確かに地下資源に頼らざるを得ない状況下にあります。実際。
けれども、それを乗り越えられる英知や技術が人類にはあると思います。
原発を必要としない社会へシフトして欲しいし、望みます。
『私も原発はいりません。』
だから自分レベルでこうして田舎で仕事をして暮らす事を選んでいるんです。
かといって、いきなり原始レベルの生活をするわけでもないですしね。
出来る人ややりたい人ががまず率先してやるべきだと。
実際大変な事ではあるんですけど。
あとね、『どうせ世界はいずれ滅びるんだから』って言う人には申し訳ないけど、
ほっといて下さいな、すんませんが。
話しが長くなってしまいましたが(苦笑)、
お会いして感じた事は、沢山あってここには書ききれないのですが、
一言で言い表せば丹治さん達は色々な意味において『素敵』なご一家でした。
そして、地元福島を本当に思って活動されているのだと感じました。
自ら率先して色々と活動されている事にもとても感銘を受けました。
実は、今回秋田にいらした理由のひとつに『しょっつるの作り方を習いたい』、
という理由もあったのでしたw
と言う訳で、ウチの母親が講師(?)となって、しょっつるの仕込みを伝授(?)。
夜は我が家に一泊されて、我が家の料理で乾杯w
もっと色々とお話がしたかったなぁ・・・。
そして、もうひとつの大事なお話。
(その2へ続く→)

 

 

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